社会派のドキュメンタリー作家が
天才シェフを追いかけた理由
ジル・ドゥ・メストル監督は、フィクションから映像製作まで、マルチな分野で活動するフィルムメーカー兼優れたレポーターとして知られている。また、社会から排除された人々や、地獄のような戦争に巻き込まれた子供たちといったシリアスな問題を取り上げた実体験型のドキュメンタリ一を世に送り出し、1990年にアルバート・ロンド賞を受賞した。
そんなメストルが、地球上で最高のシェフの一人であるアラン・デュカスを追いかけた作品を監督するとは、誰も予想していなかった。なぜデュカスのドキュメンタリーを撮ろうと思ったか、メストルはシンプルに「料理には、ずっと興味があった」と語る。「家族をまとめる重要な要素だからね。子供の頃、両親と一緒に定期的にレストランに行き、自分の好みの料理をランク付けしたこともある。料理は私の遺伝子に入り込み、いつもどこかに影響を与えてきた。」
そんな料理への情熱を、ジャーナリストとしてのキャリアには使ってこなかったメストルたが、徐々に料理が興味の中心に忍び込み、新進気鋭のシェフたちを捉えたドキュメンタリ一番組に参加する。そして、今度は大スクリーンで観るための作品を作りたいという夢を抱くのだ。「そのためには、今世紀の料理法を変えたシェフでありながら、メディアに登場するイメージ以外には私生活も何も知られていない人物が必要だった」とメストルは振り返る。「特に重要なのは、その人の仕事のプロセスと燃え上がる情熱た。アラン・デュカスは、ごく自然な選択だった。ジャーナリストのエリック・ルーが私の直感を後押し、『危険な賭けだし、長い撮影になるが、せひやってみよう』と言ってくれた。」
1年間、頑として断り続けた“主役”
満を持してアラン・デュカス本人に企画を持ちかけた時のことをメストルは、「初めのミーティングの時、彼はかなり冷たく、よそよそしい印象だった。信頼していない人間と話す時の彼はそんな感じだ」と振り返る。アラン・テュカスは、自分のイメージを勝手に作られることを警戒し、自分についての映画を作ることに全く興味を示さなかった。
メストルは、今までに例のない見たことのないものだと理解してもらおうと努力したと説明する。「どんなに偉大でも、他のシェフでは何の意味もないと伝えた。いくつかのミーティングの後、私が型にはまった先入観だらけのものではなく、ありのままの彼を見せたいだけだということを、わかり始めていると感じた。ようやく彼は、私がどうしてもこの映画を実現させたがっていることを理解した。おそらく執拗さで彼の好奇心をかき立て、彼からのリスベクトも勝ち得たのかもしれない。」
最初のミーティンクからちょうど1年後、ようやくアラン・デュカスは、「いいでしょう。やりましょう!」と決意したという。3年経った今でも、アラン・デュカスはメストルを、「私は一度もはっきりとは同意していないよね?」とからかうという。
知られざるアラン・デュカスの情熱的な素顔
1年も断り続けられたことが、撮影では逆に功を奏した。その時点で、メストルとアラン・デュカスは、既に互いを理解していたからだ。「彼はカメラの前にいてもとても自然で、私を信頼してくれた。スクリーン上に見えるすべてがリアルで、特殊効果もなく、フィルターもかかっていないし、検閲もない」と、メストルは胸を張る。
さらにメストルは、知られざるアラン・デュカスについて熱く語る。「厨房にいてもガス台の前にはいない彼、旅をして人々と出会い、試食し、人間関係を築き、チャンスを生かし、レストランをオープンする夢を見る彼。世界を旅する彼の探求は、尽きることがない。自分のするすべてのことに大いなる喜びを見出す彼がいる。子供のようなところもあり、人生に対する揺るぎない熱意がわかる。厳しいし、ぶっきらぼうかもしれない。でも彼は、基本的に善良な人物だ。融通のきかない性急な態度のピジネスマンという、これまでのメディアでのイメージからはほと遠い。彼を突き動かすものは、お金ではなく情熱だ。彼についていくのは簡単なことではなかった。その飽<ことのない知識への渇望を、正確に映し出す闘いだった。」
優れた経営術も学べる作品
フランスで最も有名な映画製作会社であるバテ社の社長のジェ口ーム・セドゥは完成した作品を見て、「偉大な一人のシェフについての映画を作りながら、経営と美徳についても語っているように感じる」とコメントした。
メストルは、「確かに厨房を任せる方法を知る類まれなシェフには、人間関係を管理し、どこでも誰にでも完璧を求めることのできるユニークな能力がある」とアラン・デュカスのもうーつのオ能について言及する。
今日では、大きな責任を担う優れたシェフや給仕長、信頼できるソムリ工を見つけることは非常に難しいことた。アラン・デュカスの場合、世界中に広がる彼のグループには、3,000人が慟いている。メストルは、「どこか冷たく突き放したイメージの裏側に、アラン・デュ力スは人々とつながり、彼らの本質を見抜く才能がある。本作では、彼の厳しいけれと優しく直接的で、どこか粗削りな部分と、素晴らしいユーモアのセンスを見ることができる。彼は自分を突き放して見る方法を知り、それを楽しんでいる。彼のオーラには、彼の仲間全員との間に築き上けた思いやりがある。それが彼の大きな強みの一つだ」と解説する。
世界を制した男の二つのルーツ
アラン・デュカスの政治的な側面については、メストルはこう解説する。「彼は権力者と付き合うなど、政治への興味を隠さない。オランドやファビウス、トランプ、プーチン、マクロンのために料理する。でも彼の深いところには、ランド県の農民の息子が残っている。農場にいた子供時代が彼のすべてを形成した。庭の新鮮な野菜が毎日の生活の基礎であり、肉はあまりにも高価で、チキンやダックは客に売られるためのものた`った。彼は策略家か? 私はそうは思わない。確かに彼はいつも自分の思い通りにやるけれど、本当に誠実にプロジェクトを実行に移すから、誰もがすぐに参加するのだと思う。彼の人生は、物語や情熱、不和や曲がった道、興味が一緒になって流れ、織りなされている。」
さらに、メストルは、アラン・デュカスが料理のために生き、人生を愛している理由は、「おそらく何もかも失いかけたからたろう」と推測する。アラン・テュカスは映画の中で、南アルプスでの悲劇的な飛行機事故について語っている。約30年前の出来事で、彼は唯一の生き残りなのた。アラン・テュカスはカメラに向かって静かにこう語っている。「恐ろしい経験でした。それなしに、私は生きられなかったかもしれない。それは私の日々の糧になっているのです」。メストルはそんなアラン・デュカスを、「アランには、ポジテイブもネガテイブも、あらゆる経験を、成長し、進化し、前進するための発射台に変えられる珍しい才能がある」と、心から称賛する。